オステオパシーの源流は日本?(番外編-各務文献その4)
では、各務文献の「整骨新書」と、二宮彦可の「正骨範」の中身紹介の続編
です。
2冊の本を現代風に分類するならば、「整骨新書」は主に整骨院、接骨院で行う
内容、「正骨範」は主にオステオパスがおこなっている内容、と考えてもよいと
思います。
整骨院、接骨院を開業するには、柔道整復師という国家資格が必要となります。
現在の柔道整復師はマッサージ的なことが中心となっていますが、本来は骨折、
捻挫、脱臼などどちらかというと外傷的な場合の整復、一方のオステオパスは
レントゲンなどには映らない、もっと微細な身体の問題に対処するところという
感じでしょうか。
以下に、ウィキペディアから柔道整復師の説明を転載します。
柔道整復師 (ウィキペディアより)
柔道整復師(じゅうどうせいふくし、英: bonesetter)は、業として柔道整復を
行うことができる国家資格、あるいはその国家資格を持つ者。柔道整復師法に
おいては第二条で「厚生労働大臣の免許を受けて、柔道整復を業とする者」と
定義される。
柔道整復術は医業類似行為のひとつで、日本古来固有の伝統医療である。
柔道整復師は、骨折・脱臼・打撲・捻挫の治療を行うことができる。
柔道整復師は業務独占資格であり、医師と柔道整復師以外のものが柔道整復を
行うことは許されない。
ウィキペディアの説明では、柔道整復師の英名が「 Bone setter」となっています
が、オステオパシーの創始者であるA・T・スティルは、存命当時その治療の
早さから、「Lightning Bone setter」と呼ばれていました。
日本語に訳すと、電光石火の整骨医という感じでしょうか。
現在、スティルが治療している場面を撮った映像が、一つだけ残っています。
確かに、この映像の中でスティルがおこなっている治療は、本当にあっという
間に終わってしまいます。
実は、のちの数多くのアメリカのDO(ドクター オブ オステオパシー)の
中でスティルが、この映像の中で行っていることについて、解剖学的、生理学的
に説明できたオステオパスが一人もいない、という事実があります。
失われてしまっていたDr.スティルのテクニックを復活させた、と言われて
いるリチャード・ヴァン・バスカークDOでさえ、その著書の中でこの映像に
ついて
「 肩、あるいは肋骨と思われる部位に、アーティキュレーションによる治療を
施している映像 」
としか書いていません。
実際、バスカークDOが開発した「スティルテクニック」の手順では、この映像
の中でおこなわれている動作を説明することは、不可能なのです。
しょうがないので私なりに、この映像を分析したものを、以前ブログに書きま
した。
こちらです↓
「Dr.スティルの映像。(動画)」
「 Bone setter」という言葉から、またまた話の方向性がずれてしまいました。
軌道修正して、さっそく「整骨新書」と「正骨範」の中味を紹介していきま
しょう。
まずは「整骨新書」の内容です。
「整骨新書」には、骨折した際の骨の整復用の各種装具、そしてそれらを実際に
使用している様子などが、描かれています。
骨折部分を固定して動かないようにしている部分は、基本的なことは現代の整復
法と変わらない、と言って良いでしょう。




次に「正骨範」の内容です。
「正骨範」にも、骨折の際の整復の様子が描かれている図がありますが、
「整骨新書」の内容と比べると、やはり見劣りしてしまう感は否めません。
しかし、なんといっても「正骨範」で重要な部分は手技に関する図です。
これらの図で描写されている治療風景は、完全にオステオパシーそのものと
言っても過言ではありません。(特にスティルやフルフォードの手技に近い
です。)
今から約250年も前の日本人が、試行錯誤の末にこれらの治療技術を独自に
編み出していたわけですから、本当に凄いことだと思います。





今回のシリーズ「オステオパシーの源流は日本?(番外編)-各務文献」は、
各務文献について説明するつもりで書き始めましたが、結果的に江戸時代の
日本の医師達が、いかに真摯に医療というものに取り組み、且つ独創性を持って
いたかということに、気づく結果となりました。
オステオパシーの創始者、A・T・スティルが解剖学の重要性を、繰り返し繰り
返し説いていたにもかかわらず、解剖学的思考を放棄して「空言虚論」に満ち溢
れた、現代の摩訶不思議系オステオパス。
あるいは人の体に触れることの重要性を忘れ、血液検査の数値やコンピューター
の画面ばかりを見ている、現代西洋医学の医師。
このような人達は、江戸時代の医師から学ぶべきことが、数多くあるのではない
でしょうか?
「オステオパシーの源流は日本?(番外編)」 完