痛みとは(5)(最終回)

 

 

 とりあえず、今回が「痛みとは」の最終回です。


これまでのブログでも何度も繰り返してきましたが、体のどこかに

「痛み」がある場合は


「必ず物理的な刺激が存在する」


と私は思っています。

喘息について書いた時にも同じようなことを言いました。

もう一度喘息の西洋医学的な説明を書きます。



気管支喘息とは


「気管支喘息は特定の抗原暴露により発症する、反復性発作性の

 呼吸困難、せき、たん、喘鳴を主徴とする気道のアレルギー性

 疾患である。」



また、私なりの喘息の説明をしたときには、咳(咳嗽反射)は

気道にあるイリタントレセプターが物理的に刺激されないかぎり

起こらないということも書きました。

上記の気管支喘息の説明を読むとわかりますが、現代医学では原因と

なるアレルゲンと咳の関係を全く説明していません。

現代医学の説明ではなぜ、抗原に暴露すると咳が出るのかはわからない

のです。

もしお医者さんに抗原と咳の直接的な因果関係を聞いてもおそらく

誰も答えられないでしょう。

そのあたりの詳しいことは過去の私のブログを読んでください。

ちょっと話がそれましたが、結局「痛み」についても同じことです。

つまり全く純粋な心理的痛みなどというものは、存在しないと私は

思っています。

私のところに来た方たちは、痛みがある場合は必ずなんらかの組織変化が

起こっています。

つまり様々な要因(心理的要因も含む)で身体の組織に物理的な変化が起こり

心理面で何らかの問題がある場合、亢進した交感神経と身体の物理的な変化

が重なり、痛みが出ているということです。(交感神経が亢進していると

刺激に対して過敏になるため、より痛みを感じやすくなります。)

うつ病では、よく胸骨周辺などに痛みが出ることがありますが、これも

必ず胸骨周辺に、何らかの物理的な刺激が加えられていると思って

間違いないでしょう。

例えば背中を丸めた姿勢により、胸肋関節部分が圧迫されているなどです。

うつ病などの精神的なものは、原因も一つに断定することはできません。

(中には化学物質の摂取、吸入が原因という場合もありますので)

しかし、もしその人のそれまでの生き方、考え方に原因がある場合は

まず肉体的な痛みを取ってあげることで、本人が痛みに気をとられずに

本来の原因に目を向けることができるのではないでしょうか。

以下の文章は神経症に関してですが、心理学者のC・G・ユングは

1935年におこなった講義の中で、次のように言っています。




「私は神経症を決して悲観的にとらえてはおりません。


 『ありがたい、神経症になる決心をしてくれた!』と言わざるをえない


 ケースがたくさんあります。


 神経症はまさに自己治癒への試みなのであり、どのような身体疾患も


 ある程度は、自己治癒への試みであるのと同じです。


 つい最近まで信じられていたように病気が個々別々のものとしては


 もはや理解できないのです。」




西暦2011年の現在でも、西洋医学では病気が個々別々のものと

信じられている気がしますが、そこは置いておきまして私は、うつ病も

ユングが神経症について語ったのと同じように自己治癒への試みという

ケースが、かなりあると思っています。

ですから、私たちオステオパスは体の痛みをとってあげることにより

本人が、原因の本質に目を向ける手助けができるのではないかと

考えています。

最後は痛みから少し違う方向へそれてしまいましたが、痛みに関しては

今回で終わりたいと思います。