オステオパシーの源流は日本?(3)二宮彦可と正骨範その1

 

「オステオパシーの源流は日本?」のシリーズも3回目となりますが、いよいよ


オステオパシーのルーツに迫ってみたいと思います。


今回はスティルが参考にしたのは恐らく、この人ではないかと私が考えている


「二宮彦可」とその著書「正骨範」を紹介します。


まずは以下の3
枚の画像を、ご覧ください。


白山オステオパシー院長のブログ  東京都文京区 白山駅より徒歩3分

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上から順に、


1、1916年、A・T・スティルMD(当時86歳)が学生達に

  デモンストレーションしている8ミリ映像の静止画。


2、2004年に日本語版が出版された、ザッカリー・コモーDOが

  ロバート・フルフォードDOについて書いた「サトル・オステオパシー」

  に載っている、フルフォード先生の治療の様子。


3、1807年(文化4年)に二宮彦可が著した、整骨接骨術の本

  「正骨範」に載っている、「車転母法」という技法。



古い順に1807年、1916年、そして2004年と、それぞれの画像の


あいだには約100年ほどの間隔がありますが、治療の様子は、非常によく


似ています。


ではこの動作の説明文ですが、最初の画像に関してはスティルの著書である


「Research & Practice」にアシスタントを使い二人で行う方法が書かれて


いますが、長くなりますので以前に書いた「スティルのテクニック(3)」を


参照してください。


2番目の画像の方法ですが、フルフォードDOはいつもスティルの著書を


参考にしていた訳ですから、基本的にはスティルの方法と変わらないと


思いますが、「サトルオステオパシー」に載っているコモー先生の記述を


紹介します。



「肋骨上部と胸郭の制限は、局部的ユニットとして治療された。


 肩甲骨と鎖骨は片手で安定させ、一方もう片方の手は患者の曲げた肘を


 つかんで腕をレバーとして使い、まるで患者に無抵抗に投球のポーズを


 させるように、最初に肩を後方に回転させ、それから上方に向け、円を


 完成させるようにした。」





次に二宮彦可による「正骨範」での、この技法の説明です。


「車転母法」


患者を正座させ、術者は患者の右側の少し後ろに座って、斜めに右膝を


ほぼ直角に立て、左足は折り曲げてつま先を立てて、左の臀(しり)を


左足のかかとの上に安置する姿勢をとる。


左手をかぶせるようにして患者の肩の上に掛け、掌を肩井(肩の線の


中間部に位置する経穴)に当て、指頭を缺盆(鎖骨上縁の陥凹部の経穴)


に当たるようにし、親指は肩髃(肩甲骨肩峰突起の外方に位置する経穴)


の後ろのへこんだところに当てる。


右手の掌で患者の肘の後ろをかかえ持ち、弓を引き絞るときのように、


力を用いて引き上げる。


患者の耳の後ろに沿って滑車を回転させるかのように回す。


右手を引くときは、左手の親指に力を入れて、肩髃の後ろを押し、


耳の後ろに沿って、患者の腕を回す。


四指の先に力を入れて、缺盆を押す。


これを数回行う。





方法としては、ほぼ同じと言って良いと思います。


二宮彦可の技法には「震震」と呼ばれる揺らしの技法、関節を回転させる


技法、組織をゆっくりと引き延ばす技法、同じ動作の繰り返しなど、


スティルやフルフォードが行っていたことと同じような技法が、いくつも


出てきます。


私は以前から、現在よく用いられる瞬間的に一定の方向に力を加える


スラスト系の方法は、初期のオステオパス達が行っていた方法と比べて


組織全体を考えると効果が劣ると言ってきましたが、私から見ると二宮彦可の


技法は、相当な治療効果を上げていたのではないかと思います。


ちなみにスティルの著書
「Research & Practice」にはアシスタントと



二人で治療する方法が、いくつも出てきますが、彦可の「正骨範」にも


助手を使って治療する図が、何枚も載っています。




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