オステオパシーの源流は日本?
私が尊敬するオステオパス、故ロバート・フルフォードDOの著書である
「いのちの輝き」(翻訳 上野圭一)の、訳者あとがきの部分にこのような
記述があります。
別れ際に、フルフォード博士はとつぜん妙なことを言い出した。
「オステオパシーの源流はどうも日本らしい」
問いただすと、マンリー・ホールの「人間」という本を持ってきて、
その扉を指し示した。
見ると、そこには「オステオパシーの源流というべきものは日本の
柔術の整復法である」と書かれていた。
なるほど、「気」の動向をうかがいつつ骨格の調整をおこなう柔術の
整復法は、基本的にはオステオパシーと変わるものではなかった。
はるばるオハイオまで旅をして、訳者は「脚元を見よ」と教わった
のである。
日本では柔道整復師は国家資格となっており、整骨院、接骨院の開業を
するならば、必ずこの資格が必要となります。
しかし、整骨院、接骨院の現状はというと軽く筋肉のマッサージをして
その後、電気治療器を使用して終了、というところがほとんどで、
とてもオステオパシーの源流と呼べるようなものではありません。
そこで、古い時代にはスティルが参考にしたような本物の整復師が
いたのではないかと思い調べてみると、二人それらしき人がいました。
各務文献 (かがみ ぶんけん)(1755~1819)
二宮彦可 (にのみや げんか)(1754~1827)
この二人です。
ちなみにスティルの生没年は1828~1917なので、スティルが
なんらかの形で彼らの著書を入手し、参考にした可能性は十分に
あるのではないでしょうか。
二人とも、ほとんど資料は残っていませんが国会図書館には、
わずかに資料があるようなので、今度調べに行く予定です。
ある程度わかったら、二人について書きたいと思います。